信頼できない語り手
観客が全面的には信じられない語り手です。嘘をつく、記憶違いをする、誤解している、何かを隠している、といった理由によります。映像では多くの場合、ある人物が語るとおりに物語を見せるボイスオーバーや回想シーンの形をとります。
実践では
信頼できない語り手とは、嘘をつく、記憶違いをする、誤解する、あるいは重要なことを省くために、その語りを観客が額面どおりに受け取れない語り手のことです。観客にとっての楽しみは、聞かされることと自分の目に見えることとのずれ、そして物語がそのずれをもはや無視できなくする瞬間にあります。
小説は一人称の声でこれを実現します。脚本は、映したものをそのまま見せるカメラでそれをしなければなりません。そのため映画には主な道具が3つあります。映像が別のことを見せている間に1つのことを語るボイスオーバー、ある人物の証言をまるで真実のように描く回想シーン、そしてある人物にきわめて強く寄せて、その人物の誤解を観客の誤解にする視点です。
決まるどんでん返しと、ずるく感じるどんでん返しを分けるのは仕込みです。矛盾を見えるところに残しておきましょう。語り手が飛ばす細部、その人の話と合わない反応、別の人物が異を唱えるセリフなどです。2回目に見たとき、真実はずっと見えていたはずだと感じられるようにします。
シーンの中の信頼できない語り手
INT. 警察署 - 取調室 - 昼
ダニー(30代)は両手をテーブルにぴたりとつけ、身じろぎもせずに座っている。
DANNY (V.O.)
金には一切手を触れていない。最初にそれだけははっきりさせておきたい。
EXT. 駐車場 - 夜(回想)
ひとりきりのダニーが、自分のものではない車のトランクから分厚い封筒を取り出す。手のひらで重さを確かめ、上着の内側に滑り込ませる。
DANNY (V.O.)
金のありかを教えただけだ。俺がしたのはそれだけだ。
ナレーションと映像は互いに矛盾し、脚本はそれをそのままにしています。ここから先、観客はダニーの語るシーンを1つ見るたびに、彼がほかに何を省いているのかと問いながら見ることになります。これほど早くに小さな矛盾を仕込んでおけば、最後の種明かしは物語を覆すのではなく、新しい枠組みで捉え直させるものになります。
この考えの由来
批評家ウェイン・C・ブースが、1961年の『フィクションの修辞学』でこれに名前を付けました。語り手が語ることが作品全体の価値観や事実と一致しないとき、その語り手は信頼できない、というものです。考え自体は名前より古く、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』(1926年)は、協力的な語り手が犯人だったとわかり、物議を醸しました。
後の小説は、語り手の盲点そのものを主題にしました。カズオ・イシグロの『日の名残り』を語る執事は、自分の忠誠が何を犠牲にしたかを最後まできちんと認めず、読者は彼よりずっと前にそれに気づきます。自分自身について思い違いをしている語り手という、この穏やかな種類が、もっとも心を動かすことがよくあります。
信頼できない語り手の種類
嘘をつく語り手は真実を知っていて隠すので、手がかりは失言や、語り手が避けることです。思い違いをしている、あるいは世間知らずの語り手は、本心から語っているものの誤解しているので、手がかりは、ほかの人物には見えて語り手には見えないものです。病気、トラウマ、薬物によって記憶や知覚が損なわれた語り手の場合、手がかりは世界そのもののほころびです。
言い逃れをする語り手は真実を語りますが、すべては語りません。観客は探す理由のない欠落には気づけないため、公正に扱うのがもっとも難しい種類であることが多いです。批評家ウィリアム・リガンは1981年の研究で、語り手をピカロ、狂人、無垢な者、道化、嘘つきに分類しましたが、これも同じ選択に対応しています。観客はどんな種類の手がかりに気づかなければならないのか、という選択です。
映画での手法
『羅生門』(1950年)は1つの犯罪を、すべてが真実ではありえない4人の証言を通して4回語り、どれが正しいかを最後まで決めません。同じ年、ヒッチコックの『舞台恐怖症』は、嘘だったとわかる回想シーンで幕を開けました。ヒッチコックは後にフランソワ・トリュフォーに対し、あれは失敗だったと語っています。観客が、登場人物ではなく映画そのものに騙されたと感じたからです。
『ユージュアル・サスペクツ』(1995年)は、物語の大半を、部屋の中で目に入るものから自分の話を組み立てていく語り手に委ねます。『ファイト・クラブ』(1999年)は視点を語り手にきわめて強く寄せ続けるので、彼の妄想が映画の現実になります。『ゴーン・ガール』(2014年)は日記のボイスオーバーを使い、映画の後半でそれが演技だったことを明かします。
観客に対して公正に
偽りの版を書く前に、真実の版を知っておきましょう。語り手が起きたと言うことと、実際に起きたことの2つを並べてアウトラインを作ります。語りのどのシーンも2列目から組み立て、その上に1列目を重ねるようにします。
種明かしの前に、少なくとも一度はカメラに語り手と食い違わせましょう。合わないト書きの1行、別の人物の反応、1拍長く映される細部。こうしたものが、2回目に見たときに報われる手がかりです。映画の中のどの映像も一度も語り手と矛盾しなければ、どんでん返しは映画が嘘をついたように感じられます。それがヒッチコックの語った落とし穴です。
よくある質問
信頼できない語り手という言葉を作ったのは誰ですか?
ウェイン・C・ブースです。1961年の著書『フィクションの修辞学』で、作品を取り巻く価値観や事実から語りが外れていく語り手を表すために使いました。
映画における信頼できない語り手の例にはどんなものがありますか?
『羅生門』、『ユージュアル・サスペクツ』、『ファイト・クラブ』、『ゴーン・ガール』がもっともよく挙げられます。どれも観客にある語りを与え、映画のほかの部分がそれぞれ異なるやり方でそれと矛盾します。
脚本で信頼できない語り手はどう書けばよいですか?
語り手にボイスオーバーや回想シーンを与え、脚本のほかの部分がそれとひそかに矛盾するようにします。観客に見える場所に矛盾を仕込んでおけば、種明かしは観客が見てきたものを覆すのではなく、新しい枠組みで捉え直させるものになります。
ボイスオーバーなしで信頼できない語り手は描けますか?
はい。映画が視点をある人物にきわめて強く寄せて、観客にその人物の誤りを共有させることもできますし、ある人物が口で語る話を回想シーンとして見せることもできます。ボイスオーバーはもっとも直接的な道具ですが、唯一の道具ではありません。
信頼できない語り手にはどんな種類がありますか?
よく区別されるのは、意図的に嘘をつく語り手、思い違いをしているか世間知らずの語り手、記憶や知覚がうまく働かない語り手、重要なことを省く語り手です。それぞれ必要な手がかりの種類が異なります。
信頼できない語り手はどんでん返しですか?
どんでん返しの下地にはなりますが、出来事ではなく視点です。多くの物語は語り手が信頼できないことを早い段階ではっきりさせ、その人が語ることと観客が見るもののずれから緊張を生み出します。