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物語の技法

不信の一時停止

物語が続くあいだ、ありえない前提を受け入れようとする観客の心構えです。観客はドラゴンもタイムトラベルも認めてくれます。観客が離れていくのは、物語が自らのルールを破ったときです。

実践では

不信の一時停止とは、物語がその約束を守り続けるかぎり、現実ではないとわかっているものを受け入れるという観客の合意です。観客は、俳優が演技をしていることも、ドラゴンがピクセルでできていることも知っています。それを気にしないことを選び、その見返りとして、物語が自らと矛盾しないことを求めます。

観客は前提には寛大で、その帰結には厳しいものです。空を飛ぶ男は受け入れても、筋の都合で閉じ込められる必要があるからと彼が飛べることを忘れたら、信じるのをやめます。脚本家の経験則では、観客が認めてくれるありえないことは大きなもの1つで、その後のすべてはそこから導かれなければなりません。

改稿では、その世界にできること、できないこと、それぞれの代償を書き出し、各シーンをそのリストと照らし合わせましょう。信じがたい部分があれば、前もって準備する、登場人物にそれを認めさせる、あるいは削る、のいずれかにします。地に足のついた物語での小さなほころびは、ファンタジーのドラゴンよりも早く信頼を壊すことがあります。

シーンの中で勝ち取る

ありえないことが、代償とともにやって来る

INT. 灯台 - 夜

マーラ(12)が消えたランプを両手で包む。ランプは金色に燃え上がる。向かいの壁で、彼女の影が10歳年を取り、また元に戻っていく。

彼女はふらつき、息を切らして手すりにつかまる。

祖父

(静かに)

灯りを1つともすたびに、少しずつ失われる。取り戻すことはできない。

ありえないことが、そのルールを伴って最初の数ページでやって来ます。観客は1つの条件つきで、映画の残りの間その魔法を受け入れます。クライマックスでマーラがそれを必要とするとき、このシーンが言ったとおりの代償を払わなければならない、という条件です。突然何の代償もなくなれば、それ以上ありえないことは何も起きていないのに、信頼は壊れます。

表現の由来

サミュエル・テイラー・コールリッジが1817年の『文学的自叙伝』で、ウィリアム・ワーズワースと共に『抒情歌謡集』として出版した詩を振り返りながら、この表現を生み出しました。彼の課題は、超自然的なものを十分な人間的真実をもって描き、「詩的信仰を成り立たせる、ひとときの、進んで行う不信の一時停止」を勝ち取ることでした。鍵となる言葉は「進んで」です。観客はそれに同意するのであり、物語はそれを失うこともあります。

J・R・R・トールキンは、エッセイ「妖精物語について」でこの捉え方に異を唱えました。優れた語り手は独自の内的一貫性を持つ第二の世界を築き、読者はその内側にいる間それを信じる、と彼は論じました。自分が不信を一時停止していると気づいたなら、魔法はもう解けている、というのです。どちらの考えも、脚本家にとっては同じ助言につながります。世界に一貫性を持たせれば、観客はとどまってくれます。

何が壊すのか

前提が原因であることはまれです。信頼は矛盾によって壊れます。都合のよいときに変わる力、知っていることを忘れる人物、問題にならなくなる怪我、クライマックスが無視する第一幕のルールなどです。問題を解決してしまう偶然、つまりデウス・エクス・マキナや、地に足のついた物語での事実の誤り、たとえばどんな外科医もしないことをする外科医によっても壊れます。

中には映画が終わってから表面化するほころびもあります。家に帰った観客が振り返り、あの人物は階段を通らずにどうやって建物を出られたのか、と考えるようなものです。批評家はこれを冷蔵庫の論理(refrigerator logic)と呼び、ヒッチコックの言葉とされることがよくありますが、出典ははっきりしません。こうした穴は、シーンの最中に観客を立ち止まらせる疑問より代償が小さく、先に直すべきなのは後者のほうです。

ジャンルが条件を決める

ジャンルごとに、物語の最初に差し出す約束は違います。スーパーヒーロー映画は第一幕で超能力を受け入れるよう観客に求め、ケイパー映画はほぼすべてを見越した計画を、ロマンティック・コメディは見知らぬ二人が何度も偶然出会うことを求めます。観客はこうした約束を知っていて、すぐに受け入れます。だからジャンルのお約束は取り除くべき決まり文句ではなく、合意の条件なのです。

問題が起きるのは、自分で差し出した約束を破ったときです。地に足のついたスリラーで、誰も助からないはずの転落から主人公が平然と歩き去れば、その場面だけジャンルが変わってしまいます。同じスタントでもアクション・コメディなら通るのに、観客はそれをずるいと感じます。物語が現実の世界からどれだけ離れているかを早めに決め、すべての場面をその距離に保ちましょう。

改稿で守る方法

ルールを書き出しましょう。その世界、技術、力には何ができるのか。何ができないのか。代償は何で、誰がそれを知っているのか。そのうえで各シーンを読み、観客がまだ見ていないルールを使っていないか、すでに見たルールを破っていないかを問います。

ありえないことは早めに準備しましょう。観客が初めてあるルールを目にする瞬間が、それに同意する瞬間です。ですから、物語がそれを必要とする前に、できれば誰かに代償を払わせるシーンで導入します。

登場人物に言わせましょう。本当に信じがたいことがあるとき、それに気づいて口に出す人物がいれば、書き手も気づいていることが観客に伝わります。これがランタンを吊るす(hang a lantern)手法で、説明よりも多くの好意を得られます。

よくある質問

不信の一時停止とはどういう意味ですか?

物語を楽しむために、魔法、超光速の旅、しゃべる動物など、現実ではないとわかっているものを受け入れようとする観客の意思です。物語が自らのルールと矛盾しないかぎり続きます。

不信の一時停止を言い出したのは誰ですか?

詩人のサミュエル・テイラー・コールリッジです。『文学的自叙伝』(1817年)で、自身が『抒情歌謡集』に寄せた詩について書いた箇所に登場します。

何が不信の一時停止を壊しますか?

たいていは前提ではなく、破られたルールです。その人物について知っているすべてに反する行動、都合のよいときに変わる力、問題を解決してしまう偶然、単純に間違っている細部などです。

不信の一時停止の例にはどんなものがありますか?

おもちゃがしゃべる、宇宙船が光より速く宇宙を渡る、強盗団があらゆる不測の事態に備えている、といったことを受け入れることです。物語がそれを早い段階で確立し、そのとおりに進めるからです。

映画で不信の一時停止はなぜ重要なのですか?

どの映画も、写実的なドラマでさえ、それを求めるからです。観客は、カメラがそこにないことも、見知らぬ人どうしが完璧なシーンの形で話すことも受け入れています。それが壊れると、観客は物語ではなく映画そのものを見始めます。

「不信の停止」と「自発的な不信の停止」はどちらが正しいですか?

どちらも正しい言い方です。コールリッジが書いたのは「willing suspension of disbelief」、つまり自発的な不信の停止で、今は短い形のほうがよく使われます。「自発的」という言葉は覚えておく価値があります。観客は自分で信じることを選び、いつでもやめられるのです。

脚本で不信の停止を保つにはどうすればいいですか?

ありえないことは早めに提示して代償を結びつけ、観客が一度見たルールは最後まで守り、現実的な場面では事実を確かめ、信じにくいことがあれば登場人物にそれを指摘させましょう。

冷蔵庫の論理とは何ですか?

観客が映画の後、家で思い返して初めて気づく筋の穴です。シーンの最中には信頼を壊さないので、その場で観客を立ち止まらせるほころびより代償は小さいですが、丁寧な改稿ではやはり塞いでおきます。