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物語の技法

直喩

別名:シミリ、叙事詩的直喩

「ように」「みたいな」などを使って、異なる二つのものを比べる比喩表現です。「ライオンのように勇敢」「明かりがついたような笑顔」。比較が表に出ていることが、直喩を隠喩と分けています。

実践では

直喩は二つのものを並べ、共通点を読み手に見つけてもらう表現です。「最後の晩餐だと告げられた男のように食べた」は「急いで食べた」よりも多くを伝えます。焦り、必死さ、少しの恐れが一度に届き、場面の絵を描くのは読み手自身です。

ページの上で効く直喩は、短く具体的です。脚本のト書きはカメラに映るものとして読まれるので、直喩は映像を研ぎ澄ますために使います(「モーテルの看板が、自分の名前を思い出そうとするかのように点滅する」)。どのカメラにも撮れないものを描くためではありません。台詞の中の直喩は、登場人物がたとえを選んでいる瞬間であり、その選び方が人物像を語ります。

よくある失敗は、読み手が何も思い浮かべずに読み流してしまう決まり文句(「氷のように冷たい」「蟻のように働く」)と、三つ重ねの直喩で書き手自身に目を向けさせてしまうことです。たとえは一つに絞り、新鮮にし、二つのものがその瞬間に大事な一点で本当に似ているかを確かめましょう。

話し手を語る直喩

整備士が自分の言葉で結婚を語る

INT. 自動車整備工場 - 夜

シャッターを雨が叩く。ジョー(40代)がウエスで手を拭いている。妹のテス(30代)は、結婚式の招待客のドレスのまま、ひっくり返したバケツに座っている。

TESS

みんなに聞かれるの。本当に彼でいいのかって。

JO

いい結婚ってのは古いディーゼルみたいなもんだよ。うるさくて、かかりが悪くて、でもオイル交換さえしてやれば、あんたたち二人より長持ちする。

テスがその夜はじめて笑う。

ジョーは「結婚は努力が要る」と言うこともできました。直喩は同じことを彼女の仕事の言葉で言うので、助言をしながら人物像も描き、笑えるほど具体的になります。「みたいな」がたとえを開いたままにしています。結婚がエンジンだと言い切るのではなく、両者が同じようにふるまうと言っているだけです。

直喩とは

直喩(シミリ、明喩とも)は、「ように」「みたいな」「まるで」「ごとし」などの言葉を使って、異なる二つのものを比べる比喩表現です。「ライオンのように勇敢だ」「彼女の笑い声はドアが乱暴に閉まる音のようだった」「村は息を潜めたように静かだった」などがそうです。英語の simile はラテン語の similis(似ている)に由来し、比較はつねに表に出ています。

直喩はどれも同じ三つの部分でできています。描写されるもの、それとたとえられるもの、そして二つをつなぐ言葉です。「羽のように軽い」なら、描写されるもの(文脈上の何か)が羽にたとえられ、「ように」がつないでいます。「まるで…のよう」「…さながら」「…より速い」のような形もあり、「うわさより速い」も直喩の一種として扱われることがあります。

直喩は詩的である必要はありません。「泥のように眠る」「火が消えたように静か」は日常の直喩で、使い古されてもう気づかれないほどです。それでも書き手がこの技法を手放さないのは、よい直喩が抽象的な性質を具体的にするからです。孤独そのものは目に見えませんが、「すべての明かりがついているのに誰もいない家」は見えます。

直喩と隠喩(メタファー)の違い

どちらも異なるものを比べます。直喩はあるものが別のもの「のようだ」と言い(「彼の声はビロードのようだった」)、隠喩はあるものが別のもの「だ」と言います(「彼の声はビロードだった」)。見分ける近道はつなぎの言葉です。「ように」「みたいな」「まるで」で比べていれば直喩です。

違いは確信の度合いにあります。直喩は二つを別々に保ったまま、似ている点に読み手の注意を向けるので、慎重な語り手や、考えながら話す人物に合います。隠喩は二つを溶け合わせるので、確信や強い感情に合います。『フォレスト・ガンプ』の「人生はチョコレートの箱のようなもの」が直喩なのは、フォレストが法則を宣言しているのではなく、母親の助言をくり返しているからです。

三つ目の親戚が類推(アナロジー)です。類推は比較を使って仕組みを説明し、しばしば数文にわたります(「心臓はポンプだ。血液を押し出し、また引き戻す」)。直喩が類推の種になることはありますが、直喩だけなら描写にとどまり、主張はせず、一文を超えることはまれです。

文学と映画の直喩の例

詩には特に有名な直喩があります。ロバート・バーンズは「O my Luve is like a red, red rose(わが恋人は赤い赤いバラのよう)」と書き、ウィリアム・ワーズワースは「I wandered lonely as a cloud(雲のようにひとりさまよった)」で始めます。ラングストン・ヒューズは、先送りにされた夢は「日なたの干しぶどうのように干からびる」のかと問い、この一節がロレイン・ハンズベリーの戯曲の題名になりました。

小説家は直喩で語りの声を確立します。レイモンド・チャンドラーの探偵フィリップ・マーロウは直喩でできているような人物です。『さらば愛しき女よ』では、派手な服を着た大男が「エンジェルケーキにのったタランチュラくらいには目立たない」と描かれ、その一文がマーロウの世界の見方、皮肉で少し疲れた目を伝えます。ホメロスの『イリアス』の叙事詩的直喩は何行にも及び、軍勢を波や、乳桶にたかる蠅にたとえます。

映画では、直喩は主に台詞とナレーションに生きています。『フォレスト・ガンプ』のチョコレートの箱が最も有名です。フィルム・ノワールのナレーションはチャンドラーの癖を受け継ぎ、だからこのジャンルのパロディはどれも、探偵が街を何かくたびれたものにたとえるところから始まります。映画が直喩を映像に置き換えると、たいていは視覚的な隠喩やマッチカットになります。二つのショットを並べて、言葉にせずに観客に似ていることを見せるのです。

新鮮な直喩の書き方

よく知られたたとえからではなく、読み手に感じてほしい性質から始めましょう。ある人物の握手が頼りなく感じられるべきなら、具体的で意外な形でぐにゃりとしているものは何かを考えます。濡れた靴下、日なたに置き忘れたレタスの葉、パーティーから二日たった風船。どれも響きが違うので、その瞬間に合うものを選びます。

たとえは物語の世界か、話し手の世界から取りましょう。農家の女性、外科医、ゲーム好きの十代では、同じ恐怖を語るにも違う直喩を選ぶはずで、その違いはただで手に入る人物描写です。誰が言ってもいい直喩は飾りにすぎません。この人物にしか言えない直喩は、一度に二つの仕事をします。

書いたら試します。声に出して読み、そのたとえで対象がよく見えるようになったか、それとも文章そのものに目がいくかを自問します。場面がすでに見せていることを説明する直喩は削り、最後まで読まなくても先が分かる決まり文句は書き換え、一つのビートにつき一つまでにして、それぞれがきちんと効くようにしましょう。

よくある質問

直喩とは、簡単に言うと何ですか?

直喩は「ように」「みたいな」などを使って異なる二つのものを比べ、一方を思い浮かべやすくする表現です。「子犬は雲のようにふわふわだった」は、すでに知っているものと結びつけて、そのやわらかさを感じさせます。

直喩にはどんな例がありますか?

日常の例には「蟻のように働く」「氷のように冷たい」「泥のように眠る」「火が消えたように静か」などがあります。文学の例には、バーンズの「my Luve is like a red, red rose」、ワーズワースの「I wandered lonely as a cloud」、そして「日なたの干しぶどうのように干からびる」かもしれないというラングストン・ヒューズの夢があります。

直喩と隠喩の違いは何ですか?

直喩は「ように」「みたいな」を使って、あるものが別のもの「のようだ」と言います(「ライオンのように戦った」)。隠喩はあるものが別のもの「だ」と言います(「戦場の彼はライオンだった」)。どちらも比較ですが、隠喩のほうが大胆に言い切ります。

直喩には必ず「ように」が入りますか?

ほとんどの場合、何らかのつなぎの言葉が入りますが、「ように」とは限りません。「みたいな」「まるで」「ごとし」「さながら」「…かのように」(「壁に侮辱されたかのように彼女を見た」)なども使えます。比較が表に出ていることが、直喩を直喩にしています。

「ように」を含む文はすべて直喩ですか?

いいえ。「遅れないように急いだ」は目的を表し、「彼女は母親に似ている」は人と人という同じ種類のものを比べているので、ただの比較です。直喩は、人と動物、感情と天気のように、種類の違うものを比べます。

叙事詩的直喩とは何ですか?

叙事詩的直喩(ホメロス風直喩とも)は、何行にもわたって続く長く詳しい比較で、しばしばそれ自体が小さな場面になります。ホメロスの『イリアス』やミルトンの『失楽園』にはこれがあふれていて、軍勢を蜂の群れに、堕天使を秋の落ち葉にたとえています。

書き手はなぜ直喩を使うのですか?

直喩は抽象的なものや見慣れないものを具体的にし、ユーモアや雰囲気を加え、語り手や登場人物に聞き分けられる声を与えます。新鮮な直喩は読み手を一瞬立ち止まらせるので、描かれているものに重みが生まれます。