メタファー(隠喩)
別名:Metaphor、隠喩
「ような」を使わずに、あるものを別のものとして描く比喩です。「時間は泥棒だ」のように、文字どおりの言葉では伝えられない感情や考えを運び、読み手は一瞬で理解します。
実践では
メタファーが効くのは、つながりを見つけるのが読み手自身だからです。結婚生活を「冷戦」と呼んでも、戦車を思い浮かべる人はいません。口をきかなくなり、点数をつけ合い、相手が折れるのを待っている二人の姿が浮かびます。たった一語が、描写なら一段落かかる内容を運びます。
ページの上では、メタファーは自分の居場所を勝ち取らなければなりません。散文や詩は立ち止まってイメージを味わえますが、脚本のト書きはカメラに何が映るかを伝えるために読まれます。そこでのメタファーは、映像を置き換えるのではなく、映像を鋭くするものであるべきです。セリフの中のメタファーは、その人物の考え方を示します。同じ恐怖を語るにも、兵士と料理人とギャンブラーでは選ぶたとえがまったく違います。
よくある失敗は、もう誰にも何も見せない決まり文句と、あるイメージで始まって別のイメージで終わる混ざったメタファーです(「その橋は雨が降ったら渡ろう」が冗談になるのはまさにそのためです)。たとえは一つに絞り、具体的にして、一度だけ働かせましょう。
誰が話しているかを伝えるメタファー
INT. レストランの厨房 - 閉店後
コンロの火が一つ灯っているだけで、厨房は暗い。コックコートのままのローザ(50代)が鉄板をこそげている。息子のダニー(20代)はコートを着たまま戸口にもたれている。
DANNY
売ってもいいんだよ。父さんだって、母さんに休んでほしかったはずだ。
ROSA
この店はね、ダニー、パン種なの。おばあちゃんが継ぎ足して、それからお父さんが継ぎ足した。パン種は休ませるものじゃない。毎日餌をやらなきゃ、死んでしまう。
ローザが火を止める。ダニーはコートを脱ぐ。
ローザは一度も「あの人たちとつながる最後のものを失うのが怖い」とは言いません。パン種がそれを代わりに語ります。生きていて、受け継がれ、毎日の世話を必要とするもの。しかもそれは彼女自身の世界から来たイメージなので、メタファーは主張を運びながら彼女という人物も描き出します。ダニーの答えが言葉ではなく行動であることにも注目してください。
メタファーとは
メタファー(隠喩)とは、あるものを別のものだと言い切る修辞技法です。「この世はすべて舞台」「彼女の声は音楽だった」「教室は動物園だった」。字義どおりに受け取れば、どの文も誤りです。けれど比喩としては真実で、しかも読み手は即座にそれを理解します。二つ目のものが、一つ目のものに自分の性質を貸し与えるからです。
批評では、この二つの部分を主意と媒体(英語では tenor と vehicle)と呼びます。主意は描写される対象(世界、彼女の声、教室)で、媒体は借りてくるイメージ(舞台、音楽、動物園)です。強いメタファーは、意外でありながら一瞬で腑に落ちる形で主意に合う媒体を選びます。
メタファーにはいくつかのおなじみの種類があります。拡張されたメタファーは、一つのたとえを一節あるいは作品全体にわたって続けます。シェイクスピアの「この世はすべて舞台」の台詞が、人生の七つの時期を通してそれを貫くようにです。暗示的なメタファーはたとえを明言しません(「彼女は部下に命令を吠えた」は、そう言わずに彼女を犬にしています)。死んだメタファーは使われすぎて、普通の言葉として読まれます。机の脚、問題の核心などがそうです。
メタファーと直喩の違い
直喩(シミリ)は「〜のような」「〜みたいに」を使って、たとえを表に出します。「彼女の声は音楽のようだった」。メタファーはその合図の言葉を取り去り、言い切ります。「彼女の声は音楽だった」。どちらも異なるものを比べますが、メタファーのほうが大胆です。似ていることではなく、同じであることを読み手に受け入れさせるからです。
どちらを選ぶかで効果が変わります。直喩は二つのものを離したまま、どこが似ているかに読み手の目を向けさせるので、慎重な語り手や人物に合います。メタファーは二つを溶け合わせるので、確信や感情、あるいは世界を一つのレンズで見る人物に合います。『フォレスト・ガンプ/一期一会』の「人生はチョコレートの箱のようなもの」は直喩です。「人生はチョコレートの箱だ」と言う人物がいたら、もっと確信があるように聞こえるでしょう。
簡単な見分け方があります。「〜のような」「〜みたいに」があれば直喩。あるものが単に別のものであると言っていれば、メタファーです。「赤ん坊のように眠った」は直喩、「一晩中、丸太だった」はメタファーです。
映画と文学に見るメタファーの例
文学には有名な例がたくさんあります。ロミオはジュリエットを太陽だと言い、彼女を自分の世界の中心であり光の源にします。エミリー・ディキンソンは希望を「羽根をもつもの」と書き、何も求めずに歌う小鳥にします。『グレート・ギャツビー』では、デイジーの桟橋の先に灯る緑の光が、ギャツビーが求めながら手の届かないものすべてのメタファーになります。
映画はメタファーを映像に変えます。『ショーシャンクの空に』で、アンディが刑務所のスピーカーからオペラのレコードを流すと、中庭の男たちは立ち止まって耳を傾けます。音楽は、束の間の、許されない自由です。『パラサイト』では、キム一家が何度も下りていく階段が社会での彼らの位置を表し、そこを流れ落ちる洪水は、セリフ一つなしにそれを語ります。
セリフの中のメタファーは人物を定義します。『ネットワーク』で企業会長のアーサー・ジェンセンが言う「世界はビジネスなのだ、ビール君」という一言は、彼の哲学のすべてを伝えます。メタファーを書くときは、それが誰のものかを考えてください。どの人物が言ってもおかしくないたとえは飾りで、この人物にしか言えないたとえが人物描写です。
良いメタファーの書き方
気の利いたイメージからではなく、読み手に感じてほしいことから始めましょう。人物のアパートを息苦しく感じさせたいなら、特定の形で息苦しい媒体を探します。金魚鉢、待合室、二サイズ小さいコート。それぞれが別のことを語るので、その感情をぴったり運ぶものを選びましょう。
媒体は物語や人物の世界から取りましょう。船乗りのメタファーは海から、十代の若者のメタファーは彼らが見たり遊んだりするものから来ます。そうすれば作者が割り込んできたようには聞こえず、人物が話すたびに静かにその人物を形づくっていきます。
そして削りましょう。正確なメタファー一つは、競い合う三つよりも強く響きます。物語の中で繰り返されるメタファーは、モチーフに育つこともあります。その行を声に出して読んでみてください。たとえによって対象がよりはっきり見えるなら残し、対象ではなく文章のほうが目につくなら、平易に書き直しましょう。
よくある質問
メタファーとは、簡単に言うと何ですか?
あるものを、別のものだと言って描写することです。「私の部屋は被災地だ」は地震があったという意味ではなく、部屋がひどく散らかっているという意味です。たとえが、その様子を思い浮かべる手助けをします。
メタファーと直喩の違いは何ですか?
直喩は「〜のような」「〜みたいに」を使って二つのものを比べます(「彼は風のように走った」)。メタファーはそうした言葉を使わず、一方がもう一方だと言います(「彼は風だった」)。どちらもたとえですが、メタファーのほうが直接的です。
メタファーにはどんな例がありますか?
「時は金なり」「人生は旅だ」「彼女は職場の太陽だ」「教室は動物園だった」「彼は夜型の梟だ」などが日常的なメタファーです。文学では、ジュリエットを太陽と呼ぶロミオや、希望を「羽根をもつもの」と書いたディキンソンが有名です。
拡張されたメタファーとは何ですか?
一つのたとえを、数行、一節、あるいは作品全体にわたって展開するメタファーです。『お気に召すまま』のシェイクスピアの台詞「この世はすべて舞台」は、人生のあらゆる時期を通して演劇のたとえを続けます。
メタファーには必ず「〜は〜だ」の形が必要ですか?
いいえ。多くのメタファーは「〜は〜だ」の形をとりますが、暗示的なメタファーは動詞や描写を通してたとえます。「彼女は命令を吠えた」は彼女を犬にたとえ、「彼は書類の山を耕していった」は彼を鋤にたとえていますが、どちらもそうとは言っていません。
作家はなぜメタファーを使うのですか?
メタファーは多くの意味を少ない言葉に凝縮し、抽象的な考えを具体的にし、読み手にしっかりつかめるイメージを与えます。セリフの中では、人物が選ぶメタファーが、その人物の世界の見方も明かします。
映画のメタファーは視覚的なものにもなりますか?
はい。映画はしばしば言葉ではなく映像でメタファーを作ります。閉じ込められた人物には籠の鳥、社会階層には階段、残り時間には時計。脚本はそれをト書きで仕込み、観客がたとえを耳で聞くのではなく目で見られるようにします。