語りの視点
別名:Point of view、人称
物語がどこから語られるか、つまり誰が語り、どこまで知っているかです。一人称は「私」、二人称は「あなた」、三人称は「彼女」「彼」で語り、三人称には一人の人物に寄り添う形と全知の形があります。
実践では
視点は、読み手が誰の目を通して見るのか、そしてどれだけ知ることを許されるのかを決めます。同じ銀行強盗も、強盗、窓口係、そして全員を同時に見渡せる語り手が語れば、三つの別々の物語になります。視点を選ぶことは、読み手が何を、いつ知るのか、そして登場人物たちとどれくらいの距離に立つのかを選ぶことです。
散文では、視点は語り手によって決まります。一人称(「私」)、二人称(「あなた」)、三人称(「彼女」「彼ら」)で、三人称には一人の人物に寄り添うものから全知のものまであります。この選択は声、サスペンス、共感に影響します。一人称の語り手は読み手に何かを隠せますし、全知の語り手はすべての人物の考えを見せられます。
脚本には散文のような語り手がいません。カメラが外側から場面を見せるからです。そのかわりに脚本家は、誰の場面を見せるか、観客が人物より先に何を知るか、いつボイスオーバーや主観ショットを使うかを選ぶことで視点をコントロールします。主人公のそばを決して離れない映画は、一人称の小説と同じくらい視点が限定されています。
一人の人物の視界に限定された場面
INT. 病院の廊下 - 夜
私たちはジューン(20代)のそばにいる。スクラブにはまだ袋の折り目が残っている。彼女はカートを押して14号室へ向かう。背後のナースステーションで、声が低くなる。彼女は振り返らない。
14号室のドアの前で、彼女は立ち止まる。小窓の向こうに、空のベッド。シーツははがされ、モニターは消えている。彼女はシートを確かめる。ドアの番号を確かめる。
JUNE
一時間前には、ここにいたのに。
背後で足音が止まる。ジューンが振り返る。それが誰かは見えない。見えるのは、気づいた瞬間の彼女の顔だけだ。
場面は決してジューンから離れないので、観客は彼女が知ることを、彼女が知るその瞬間に知ります。低くなる声、空のベッド、背後に立つ誰か。これは三人称限定視点の映画版です。そこに立っているのが誰かを見せないことで、脚本家は発見の瞬間に観客をジューンの視点にとどめています。
視点とは
語りの視点(英語のpoint of viewから、POVとも略されます)は、物語が語られる立ち位置のことです。誰が語り、誰の考えが聞こえ、語り手が何を知っているか。それは文法上の人称(一人称、二人称、三人称)と、語りが人物の心にどれだけ近いかによって決まります。日本語では「人称」や「語りの視点」と呼ぶことが多く、物語論では焦点化とも言います。
視点はほかのあらゆる書く選択の土台になります。視点は声を決めます。「私」と語る十代の少女と全知の語り手は少しも似ていないからです。サスペンスを決めます。知っていることが少ない語り手は、読み手と同時に驚くことができるからです。そして共感を決めます。読み手はふつう、心を共有している人物の側に立つからです。
視点を、日常的な意味での人物の意見と混同しないでください。また、人物が見ているものを映すカメラの指示である、脚本の主観ショット(POVショット)とも混同しないでください。そのショットはこの用語集のPOVのページで扱っています。文学の視点は、誰が物語を語り、何を語れるかに関わるものです。
一人称、二人称、三人称
一人称は「私」や「私たち」を使い、語り手は物語の登場人物です。ホールデン・コールフィールドが語る『ライ麦畑でつかまえて』や、カットニスが語る『ハンガー・ゲーム』のように、親密で直接的に感じられます。語り手は主人公ではなく目撃者であることもあり、『グレート・ギャツビー』のニック・キャラウェイがそうです。また一人称の語り手は信頼できないこともあり、真実を隠したりゆがめたりします。
二人称は「あなた」を使い、読み手を登場人物として物語の中に置きます。保ちにくいので小説ではまれですが、ジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』は全編が二人称で書かれており、N・K・ジェミシンは『第五の季節』の一部でそれを使っています。ゲームブック、テレビゲーム、説明書、歌ではよく見られます。
三人称は「彼」「彼女」「彼ら」を使い、語り手は人物の外側に立ちます。柔軟なので、フィクションで最もよく選ばれます。一人の人物にとどまることも、人物から人物へ移ることも、全員の上に立つこともでき、その違いを次の節で扱います。
三人称限定視点と全知視点
三人称限定視点は、一度に一人の人物にとどまります。語り手は「彼女」や「彼」と言いますが、伝えられるのはその人物の考えと知覚だけです。『ハリー・ポッター』シリーズはほぼすべてハリーに寄り添って語られるので、読み手は謎をハリーと同時に発見します。ジョージ・R・R・マーティンのように、章ごとに複数の人物のあいだでこの視点を切り替える小説も多くあります。
三人称全知視点は、すべてを知っています。語り手はどの人物の心にも入り込み、過去と未来を説明し、出来事に論評を加えることができます。レフ・トルストイの『戦争と平和』がその例です。作者に広がりと権威を与えますが、距離を感じさせることもあり、一つの場面の中で制御なしに心から心へ飛び移ると、英語でhead-hoppingと呼ばれる状態になって読み手を混乱させます。
三人称客観視点は、見えるものと聞こえるものだけを伝え、誰の考えにも入りません。アーネスト・ヘミングウェイの「白い象のような山並み」は古典的な例で、二人の人物が決して名指ししない決断のまわりを話し続けます。カメラが行動しか映せない脚本に、散文が最も近づくのがこの視点です。
脚本における視点
映画は客観に傾きますが、それでも脚本家は構成によって視点を選びます。ジェフのアパートに観客を閉じこめる『裏窓』のように、すべての場面で一人の人物にとどまる脚本は限定視点の効果を生みます。私たちは彼に見えるものしか知りません。主人公と悪役のあいだを行き来する脚本は、観客により広い、全知に近い視点を与え、どの人物よりも多くを知らせます。
ボイスオーバーは一人称を画面に持ちこみます。『グッドフェローズ』はヘンリー・ヒルが語り、途中からカレンも語ります。その切り替えが、いま誰の言い分を聞いているのかを教えてくれます。『ファイト・クラブ』の語り手も信頼できず、どんでん返しは観客が彼の視点を受け入れていたことに支えられています。意図して使えば、ボイスオーバーは映像にない声を加えます。松葉杖として使えば、場面が見せるべきことを説明してしまいます。
主観ショット(POVショット)は、一人称のカメラ版で、人物が見ているものをそのまま映します。1947年の『湖中の女』や2015年の『ハードコア』のように最初から最後までそれを貫こうとした映画もありますが、ほとんどは発見や脅威の短い瞬間に使います。脚本を準備するときは、それぞれの場面が誰のものかを決めましょう。そうすれば、カメラと観客をどこに置くべきかがわかります。
よくある質問
物語における視点とは何ですか?
視点とは、物語が語られる立ち位置のことで、誰が語り、その人が何を知っているかです。主な形は一人称(「私」)、二人称(「あなた」)、三人称(「彼」「彼女」「彼ら」)で、三人称には一人の人物に限定されたものと全知のものがあります。
三人称視点とは何ですか?
三人称は、「彼」「彼女」「彼ら」を使って人物の外側から物語を語ります。三人称限定視点では語り手が一人の人物の考えを追い、三人称全知視点では誰の心の中も見ることができます。
一人称視点とは何ですか?
一人称は、物語の登場人物が「私」や「私たち」と言って語るものです。個人的で直接的に感じられ、読み手が知れるのは、語り手が知っていること、気づくこと、話すと決めたことに限られます。
二人称視点とは何ですか?
二人称は「あなた」で読み手に語りかけ、読み手を主人公にします。「あなたは見覚えのない部屋で目を覚ます。」小説ではまれですが、インタラクティブ・フィクション、ゲーム、説明書ではよく見られます。
三人称限定視点と全知視点の違いは何ですか?
三人称限定視点は一度に一人の人物の頭の中にとどまるので、読み手はその人物が知っていることしか知りません。三人称全知視点はどの人物の考えにも入り込み、誰も知らないことまで明かせます。
小説にはどの視点がいちばん合っていますか?
唯一の正解はありません。一人称は声が引っ張る親密な物語やミステリーに、三人称の近い視点は最も柔軟で一般的に、全知視点は大人数の登場人物や叙事的な物語に向いています。物語が必要とするとおりに、読み手が何を知るかをコントロールできる視点を選びましょう。
脚本に視点はありますか?
あります。脚本はカメラの外側からの目で書かれますが、脚本家は誰の場面を見せるか、観客が人物より先に何を知るか、いつボイスオーバーや主観ショットを使うかを選ぶことで視点をコントロールします。