曲言法
別名:メイオーシス
物事を実際より小さく穏やかに示すことです。失った片腕を「ただのかすり傷」と呼ぶように、言葉と真実の差がユーモア、アイロニー、抑制を生みます。よいことを「悪くない」と言う緩叙法はその一種です。
実践では
曲言法(アンダーステートメント)とは、状況にふさわしいより控えめに言うこと、つまり物事を実際より小さく、穏やかに、重要でないものとして示すことです。片腕を失ったばかりの人物が「ただのかすり傷だ」と言うのも、ハリケーンを生き延びた人が「ちょっと天気が荒れた」と言うのも曲言法です。言葉と現実の差こそが要点で、観客は台詞が現実にどれだけ届いていないかで真実を測ります。
曲言法はいくつもの仕事をします。反応を拒む乾いたユーモアとして笑いを生むこともあります。痛みを抱えた人物が誰かのためにそれを軽く見せるとき、勇敢さになることもあります。起きていることを認めようとしない人物を示し、冷たさになることもあります。そして、観客は人物が言おうとしないことを感じ取るので、感情の爆発より多くの感情を運ぶことができます。
緩叙法(リトテス)は、否定を通して働く特別な種類の曲言法です。とてもよいことを「悪くない」、親切なことを「不親切ではない」、賢いことを「ばかではない」と言います。反対の技法は、意図的に誇張する誇張法です。書き手はよく二つを組み合わせ、一人の人物に大げさに反応させ、もう一人に控えめに言わせます。その対比が両方を際立たせます。
その瞬間が抱えるより少なく言う
INT. 山小屋 - 夜明け
割れた窓から雪が吹き込む。IMOGEN(30代)がスキーのストックで自分の足首に添え木をしている。登山のパートナーのRAFE(30代)が凍傷を負い、一人でよろめきながら入ってくる。
IMOGEN
Theoは?
Rafeが座る。時間をかけてブーツの紐をほどく。
RAFE
尾根は、うまくいかなかった。
Imogenは添え木を縛る手を止める。それから、慎重に結び目を仕上げる。
IMOGEN
じゃあ、そろそろ下りたほうがよさそうね。
二人とも意図して控えめに言っています。「尾根は、うまくいかなかった」は、友人が死んだことをRafeが伝える言い方で、「そろそろ下りたほうがよさそうね」は、Imogenが崩れずにそれを受け入れる言い方です。言葉が事実よりずっと小さいので、観客はすべてを理解します。「Theoが落ちて死んだ!」という台詞では、俳優が演じられるものが少なくなってしまいます。
曲言法とは
曲言法とは、書き手や話し手が状況を実際ほど深刻でなく、大きくなく、重要でないように意図して見せる比喩です。修辞学での正式な名前は、ギリシャ語で「減らすこと」を意味するメイオーシスです。曲言法は共有された知識に頼ります。小さな言葉が間違いではなく曲言法として受け取られるには、聞き手が物事の本当の大きさを知っている必要があります。
英語の「それは控えめな言い方だね(that’s an understatement)」という言い回しは、この考えを日常会話で使っています。日本語なら「控えめに言っても」や「そんなものじゃない」がこれに当たります。誰かが災難を「ちょっと不便だった」と言い、別の人が「そんなものじゃないでしょう」と返せば、二人目の話し手はその差を指摘しているのです。「寂しいなんてものじゃない」と言えば、気持ちが言葉よりはるかに大きいことを意味します。
曲言法はアイロニーと深く結びついています。言葉のアイロニーと同じく、あることを言って別のことを意味し、読者は両方を聞き取ることを求められます。違いは、アイロニーが言葉と正反対のことを意味しうるのに対し、曲言法は同じことをもっと強く意味するという点です。
曲言法と緩叙法
緩叙法は、反対のものを否定することで成り立つ曲言法です。「悪くない」はよいを、「珍しくない」はよくあるを、「彼が出ていくのを見て悲しくはなかった」はうれしかったを意味します。二重の否定は、話し手が自分の気持ちの強さを否定できる余地を残すので、緩叙法は謙虚に、外交的に、あるいはずる賢く響きます。
古英語の詩は緩叙法を多用しました。『ベーオウルフ』では、贈り物が「小さくはなかった」、戦士が「勇気に欠けてはいなかった」と文字どおり言う表現が、称賛の方法でした。現代の話し言葉もこの習慣を保っています。日本語でも「まんざらでもない」「捨てたものではない」「並大抵のことではない」「あまり賢いとは言えない」と言います。
緩叙法はすべて曲言法ですが、曲言法がすべて緩叙法というわけではありません。「ただのかすり傷だ」は否定を使わずに控えめに言っています。書き手にとって、人物が用心深いときや礼儀正しいときには緩叙法が、勇敢なとき、無表情なとき、現実を否認しているときには普通の曲言法が適した道具です。
曲言法の例
映画では、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の黒騎士が剣の戦いで片腕を失い、「ただのかすり傷だ」と言い張ります。『アポロ13』では、宇宙飛行士ジム・ラヴェルが宇宙船での壊滅的な爆発を「ヒューストン、問題が発生した」と報告します。実際の宇宙飛行士は「問題が発生していた」と言ったのですが、どちらの版の落ち着きも有名になりました。
文学では、『ロミオとジュリエット』で死にゆくマーキューシオが致命傷を「かすり傷だ、かすり傷」と呼び、それは「井戸ほど深くもなく、教会の扉ほど広くもない。だが、これで十分だ」と付け加えます。ヘミングウェイの人物たちは、痛みや喪失をいつも控えめに語ります。
日常の会話では、猛暑を「ちょっと暑いね」と言ったり、豪邸を「こぢんまりしたいい家」と言ったり、大事な試験が「まあまあだった」と言ったりします。とりわけイギリスのユーモアはこれで有名で、日本のように抑制を重んじる文化の人物は、感情を見せずに示すためによく曲言法を使います。
曲言法と誇張法
誇張法は大げさに言い(「もう百回は言ったよね」)、曲言法は小さく言います(「一、二度言ったかもしれない」)。どちらも言葉と真実の間に差を作り、どちらも観客がその差に気づくことに頼ります。一方は強い感情を示すために物事を大きくし、もう一方は自制を示すために小さくします。
喜劇はよく二つを組み合わせます。慌てふためく人物が小さな問題を世界の終わりのように語り、落ち着いた人物が本物の災難をちょっとした後退のように語ります。その対比は、どんな描写よりも速く、この人たちがどんな人間かを観客に伝えます。
ドラマでは、曲言法のほうが誇張法より強く響くことがよくあります。観客は危機にある人物が叫ぶことを予想しているので、最悪の瞬間に静かに話す人物は観客を驚かせ、その抑制が深さを示します。誇張法は観客にどう感じるべきかを伝え、曲言法は観客が自分で感じる余地を残します。
曲言法の書き方
まず、観客が出来事の本当の大きさを知っているようにしましょう。曲言法は読者がその差を測れるときにだけ働くので、人物がそれを軽く見せる前に、危険や喪失や達成を見せておきます。賭けられているものが不明確だと、控えめな台詞はただ平板に聞こえます。
人物に控えめに言う理由を与えましょう。誰かを守っているのか、恐れを隠しているのか、尊厳を保っているのか、それとも単にそういう性格なのか。理由が台詞の形を決めます。怯える新兵を安心させる兵士、悪い知らせを隠す親、無表情な芸人は、それぞれ違ったふうに控えめに言います。
台詞が差し控えるものは、ト書きに運ばせましょう。間、動きを止める手、慎重な結び目。身体の細部が、言葉が拒む感情を示します。そして曲言法は控えめに使いましょう。何に対しても反応しない人物は、抑制的なのではなく、そこにいないように見え始めます。
よくある質問
曲言法の例を教えてください。
古典的な例は『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の黒騎士で、片腕を失いながら「ただのかすり傷だ」と言います。ハリケーンを「ちょっとした雨」と呼んだり、宝くじの当選を「ちょっとした幸運」と呼んだりするのは、日常的な曲言法です。
文学における曲言法とは何ですか?
文学における曲言法とは、書き手が物事を実際より重要でなく、深刻でなく、小さいものとして示す比喩です。ユーモア、アイロニー、感情の抑制を生み、読者が本当の大きさを知っていることに頼ります。
曲言法の文学用語での呼び名は?
修辞学での正式な用語はメイオーシスです。緩叙法(リトテス)は、よいことを「悪くない」と言うように、否定を使って肯定を表す特定の種類の曲言法です。
誇張法と曲言法の違いは何ですか?
誇張法は物事を実際より大きく見せるために大げさに言い、曲言法は小さく見せるために控えめに言います。どちらも意図的なもので、どちらも観客が物事の本当の大きさに気づくことを前提にしています。
緩叙法とは何ですか?
緩叙法は、反対のものを否定することで何かを肯定する曲言法の一種です。「悪くない」はよいを、「珍しくない」はよくあるを、「天才とは言えない」はあまり賢くないことを意味します。
「控えめに言っても」「そんなものじゃない」とはどういう意味ですか?
いま述べられた描写が、現実に対してあまりに穏やかすぎるという意味です。長くひどい一日を誰かが「ちょっと疲れた」と言ったとき、「そんなものじゃないでしょう」と返せば、同意しつつ、実際はずっとひどかったことを指摘しています。
曲言法の同義語は?
近い言葉には、メイオーシス、緩叙法、抑制、控えめな表現などがあります。日常会話では「軽く言えば」「控えめに言っても」といった言い方も使われます。